タコピーの原罪に隠された問題 道徳を知らない子供たち
はじめに
「タコピーの原罪」は、「対話をすることの難しさ」や「助けるとはどういうことか」を描いた作品だ。その裏で、一つ重要な問題が隠されているような気がして、この記事を執筆するにいたった。
みんなタコピーに冷たくないか?
これが、私がこの作品を読んでいるときに常々感じていたことである。
しずか、まりな、直樹・・・登場人物は皆タコピーに対して冷たい、それどころかとても酷い扱いをしているように思われる。
例えば、しずかは、タコピーが役に立たないと分かると、冷たい目で見たり、足で踏んだりしている。
一方まりなは、タコピーのことを初対面のときにごみくそと呼んだ。
また、直樹は、落ち着いてとなだめるタコピーに対して、「黙ってろよ」と一蹴したり、「お前は能天気で馬鹿でごみ」と評している。
いったいなぜ、皆タコピーに対してこのような態度を取るのだろう。単にタコピーという生物が気持ち悪いから、という可能性もなくはないが、実はこのような違和感は作品の他の部分でも見られる。
横行するいじめ
物語の序盤では、まりなのしずかに対するいじめが横行する。
しかし、このいじめ、あまりにも横行しすぎている。机の落書きでも十分酷いが、暴力に器物損壊など、度を超えたものが度々出てくる。現実世界なら、先生などの大人が流石に気がついて止めるところだろうに、実際は不思議がるだけでいじめに気がついてないない。私は幸いにもこのようないじめを経験したことがないこともあって、率直な感想として、「こんなことってある!?」と思ってしまった。
このあまりに出来すぎたいじめに対し、同じように違和感を持った人は私以外にもいたようで、例えば小山という批評家?は「虐待描写にリアリティがない」と批判している。もっともこの批判は、この作品が別に虐待描写のリアリティに重きをおいたものでないうえに、これによって作品の自然さが損なわれているわけではない以上、ただの的外れでしかないのだが・・・
(参考)
道徳心のない子供たち
こうした露骨すぎるいじめの他にも、違和感を覚える場面はあるだろう。
そこで、こうしたいじめも含め、違和感のある場面を人物ごとにみてみると、
しずか:
まりなを殺したタコピにーに対して、「殺してくれてありがとう」
自分に協力してくれた東くんに対して身代わりで自首をするよう要求する
自分の言うこと聞かないタコピーに冷たい視線を向けたり蹴る
まりな:
しずかに対する容赦のないいじめ
初対面のタコピーにごみくそ呼ばわり
直樹:
タコピーに対して暴言
まりなのとりまき:
下敷きを割ることに罪悪感を覚えていない
といった風にまとめられる。
こうした違和感をまとめてみると、「タコピーの原罪」に登場する子供たちは、一般的な道徳が身についていない、ということが判明する。
育った境遇が道徳を教えていない
なぜ、このようなことが起きてしまっているのだろうか。
これは、ひとえに育った環境が影響していると考えられる。
例えば、しずかは母子家庭で育っている。しかも、母親は水商売で男とよく一緒にいる。また、まりなの家庭に関しても、父親は不倫をし、母親も荒れてまりなに対して暴力を振るう。
このような環境で果たして道徳が身に付くだろうか。
お腹がすいた人にパンを分け与えるくらいはしてあげれるかもしれない。
ただ、人を殺すこと、いじめをすること、暴力を振るうことがよくないことだという理解がない。それを教わっていないから。だからこそ平気で残虐なことができてしまう。
事件が警察沙汰になって騒ぎになってる時に、しずかが平然と「何言ってんの。今日から夏休みだよ」と言ってのけたのも、タコピーが、まりながタコピーに暴力振るうのを「お母さんのまねっこ」と表現したのも、まさにそのことを象徴しているのではないだろうか。
誰かが道徳を教え、子供たちをよく見て助けてあげないといけない
そもそも、道徳とは自然に身に付くものではない。誰かが教えなければ、善も悪も分かるはずがない。しずかやまりなにはそれを教えてあげられる人がいなかった。そして、親がその役割を果たさないときに、先生など周りの大人が、子供たちをよく観察して助けてあげられなかった。だからこそ、あれだけ酷いいじめが横行してしまった。よく、小学校や中学校でいじめによる自殺等が取り上げられているが、そういう孤独な子供たちを、先生など周りの大人がよく見てあげられていないということに対する批判も、この作品には込められているのではないだろうか。